Mar y peces のブログ

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久々の思想強めの水バナ侍ふの感想

矢花くんは普通について『周りからはみ出ていないもの』、言い換えれば『大多数が選ぶもの』と定義していると私は読み取りました。(間違っていたら申し訳ないです。)

その定義をもとにして自分の人生の普通度を振り返ってみると、私は"普通じゃない"ことの方が多いなと思いました。

 

私は生物学上の分類で言うと女です。ですが私の人生では髪の毛を結んだ記憶よりも後ろを刈り上げていた記憶のほうがあるし、スカートをなびかせていた記憶よりもズボンを履いていた記憶のほうがあります。私は"普通の"女の子ではない方を選び続けてきました。他にも、理系(現在通っている学科は女子が全体の1割程しか居ません)を選択したことや、そのなかでも物理(高校の授業は私を含めて2人で受けていました)を選択したことなど、何かと少人数の方を選択してきました。そして、こういう選択をし続けられたのは私がこれまで生きてきた環境が大きいのだと思います。両親は私に特に強く女の子らしくしなさいと言うこともなく(言っても聞かないから諦められてた?)、学校も中高は女子校に進んだので男子の目を気にすることなく自由にやりたいことをしていました。そういう環境で生きてきたのでそもそも "普通を選ばなきゃ" という思考回路に至ることが無かったのだと思います。

とまあ、ここまで書いたように基本的に普通じゃない方を選択してきた私の人生ですが、じゃあ普通を選択したことってあるのかなと考えてみました。長考した末に見つけたのは、矢花くんもブログで書いていた対人関係の場面ですね。対人関係はやっぱり自分のやりたいようにやるばかりではうまくいかないもんですね笑 普通じゃない選択ばかりしている私ですが対人関係においては頑張って普通を選択しているんだなというのを矢花くんのブログをきっかけに気付きました。でも、これも意識的にというよりは無意識的に、普通を選択した方がうまくいくと脳が判断して普通を選んでいるので、意識的に普通を選ぶということはしたことがないんですよ。なので、これからは矢花くんの言っていた "自分で普通を選択する" ということを意識してみようかなと思いました。

そして、そのためにはやっぱり"普通"というものを理解することができていないといけないんだなと、ようやく矢花くんの言っていたことがストンと腑に落ちました。

 

"普通"とは何か考え、自ら普通を選ぶ というこれまで私が生きてきたなかでしてこなかった行為を実践してみたいと思ったブログでした。

 

p.s.

久々の思想つよつよブログ楽しかったです!考えるって、頭を使うっていいですね!普段勉強するときに使う脳とは違うところを使うので頭が柔らかくなる感覚があります。矢花くん、いつも有難う御座います。このハチャメチャな組み立ての読みづらい文章を最後まで読んでくださった方々も有り難う御座います。

 

#矢花黎に物申す

#異担侍日報侍ふ