江戸川乱歩の描いた世界は奇妙で心地の良いものだった
~まえがき~
駅を降り
改札を出て左に曲がり
信号を渡り
長い長い坂を登ると
目的地のステラボールが見えてくる
開場時間と同時にステラボールの中へと足を進め
パンフレットとクリアファイルを購入し
座席を確認し
"その時"が来るのを待つ
この待つ時間も悪くないもので
パンフレットを読み
これから始まる非日常的な90分間に思いを馳せる
そうこうしている間に、遂に"その時"が来た
まずは、大嶋吾郎さんとあさいまりさんがステージ上に現れ、軽くチューニングを行う
この2人の姿にいよいよ始まるんだという高揚感が溢れ
私の心拍数は徐々に上がり始める
吾郎さんが矢花くん、いや、明智小五郎が冒頭で掻き鳴らすベースを手にしていることも私の心拍数を上げる要因のひとつであった
そして、薄暗い会場に明智小五郎の声が響き渡る
『明智は二十面相 二十面相は明智 明智は二十面相 二十面相は明智…』
モボ朗読劇『二十面相』~遠藤平吉って誰?~の始まりだ
~本編~
私は舞台を観た経験が多くはありません
そんな私でも今回の朗読劇が特殊な構成になっていることは分かりました
怪人二十面相シリーズの話が散りばめられていたりそうかと思えば物語から離れ第三者の視点で二十面相シリーズの考察が語られる
その入り組んだ構成に置いていかれまいと注意すればするほど江戸川乱歩が描いた世界に引き込まれていく
とても面白い朗読劇でした
そんな朗読劇、矢花くんがカーテンコールでの挨拶やブログで"考えてみてください"と言うことを口にしていたので私なりに今回の朗読劇について考えてみます
私が舞台を観終わったあと、明智小五郎に抱いた印象はこの人はとんでもなくプライドの高い人なんだなということです。
二十面相は劇中でも話されるように世間を驚かせること、世間を楽しませること、そして何より明智との戦いを楽しんでいるように感じました。だからこそ、人殺しをしないという主義を持っているし、何度明智に負けようと心が折れること無く何度も牢獄を出て劇場型犯罪を遂行する。
それに対して明智は楽しむということよりも二十面相を負かし、自分が凄いんだということを世間に知らしめることを第一に置いているように感じました。
なぜそう思ったかというと明智は探偵という職業にも関わらず新聞等世間に自分の姿が知れ渡るのを厭わないし、二十面相を負かすためであれば非人道的なことも平気な顔をしてやるからです。
ただ、どこかそのプライドの高さ故の苦しみがあるようにも見えました。私は狂気じみた笑い声が響くシーンの明智がなんとも形容し難い複雑な表情をしていた(ように感じた)ことが忘れられません。
そして、そんな明智の助手をしているのが小林少年です。少年とついている通り、11~13歳という年齢設定の小林少年について劇中でこう語られる。
"小林は無謀、レックレス
小林は危険中毒、スリルアディクト
小林は運がいいだけ、ついてるだけ"
そう、小林少年、彼もまたかなりヤバイ奴なんです。将来、二十面相にも明智小五郎にも成り得る存在であると劇中で説明されていましたが、私は小林少年は二十面相や明智よりも厄介な存在に成るんじゃないかなと思いました。二十面相や明智は自分自身に危険が及ばないように智力を使って綿密に計画を立て、美術品を盗んだり、二十面相を捕まえたりします。しかし、小林少年は『多分上手くいくだろうと思います!』となんとも無防備に危険に飛び込んで行く。1番恐ろしいタイプの人間だなと感じました。
登場人物の整理をしていてなんだか二十面相が1番まともな人間なのではないかと思ってきました笑
物を盗むという行為は頂けませんが人に危害を及ぼすことはありませんし、前述したように彼の根底にあるのは人々を驚かせたいというなんとも単純なものであるため、明智や小林少年と比べたらそこまで狂った人物ではないのかなと。
(良くないですね。江戸川乱歩の世界に浸っていると感覚がおかしくなってきました。)
ここまで書いたように江戸川乱歩が描いた明智小五郎、二十面相、小林少年は紙一重な存在なんですよね。
と劇中でも語られており、明智が二十面相側の手下に変装してるときの台詞を二十面相役の栗原さんが読んだり、二十面相の台詞を小林少年役の豊田くんが読んだり明智小五郎役の矢花くんが二十面相の声明を読んだりしていてとても面白かったです。
そして、朗読劇は進み、ステージ上には明智小五郎と二十面相だけが残り、いよいよクライマックスです(滅茶苦茶端折りました)。ここまでやりあってきた明智と二十面相の集大成という感じがするので私はこの最後のシーンが大好きです。そして、大好きだからこそ、ここのシーンは色々考えました。
爆発のシーン、明智は逃げ切れた
しかも割りと容易に
しかし、二十面相は『'俺たちの'墓場』と言っていた
二十面相ほど頭の切れる男なら明智が逃げられることも分かっていたはず
では、なぜ'俺たちの'と言ったのだろうか
最後の語りで二十面相は死んだと言っている
しかし、こうも言っていた
二十面相の死体は見つからなかった
色々な矛盾にもやっとする
そして、語りはさらにこう続く
明智が生きている限り二十面相も生き続ける
私は逆も有り得るのではないかと思った
爆発で二十面相は死に、それと同時に明智も死んだのではないかと
なぜなら明智は二十面相で二十面相は明智なのだから
こう考えれば二十面相が明智に"俺たちの"墓場と言ったのも少しは納得がいく
これはあくまで私の考えであり、きっと正解なんてものはない
読書というのは書かれていない部分
つまり余白を考えることなんだと
今回の朗読劇を通して学んだ私なりの考察である
~あとがき~
あの男の本名が“矢花黎”ということは以前聞いたことがある
しかし、これはあの男と向き合うのになんの役にも立たない
あの男には数えきれないほどの名前がある
顔もその時々で全く異なる
無数の名前、無数の顔
あの男はあなたであり、私であり、彼であり、彼女であり、誰かであって、同時に誰でもない
それは、電子が粒子であると同時に、波動であることを思い起こさせる
あの男は、時間を超えてあらゆる場所に偏在する
あの男は、永遠に瞬間を生き続けるのである
これをきっかけとして、矢花くんの色々なお芝居が観られると良いなという思いを込めて、最後は今回の朗読劇で出てきた台詞を引用させていただきました。
最後まで読んでくださった皆様も、途中まで読んでくださった皆様も有り難う御座いました。
#モボ朗読劇